気まぐれ日記 03年6月

03年5月はここ

6月1日(日)小説家が普通の人間になった日・・・の風さん」
 休日だったが、3人の子供たちが普段通りに起きるので、私も早起きした。やることは常にたくさんあって両手に持てないほどだ。性分で一つ一つをいい加減に済ませられない。だから、両手の指の間からどんどんこぼれていく。器用に足の先でキャッチし、もう一度拾い上げることもあるが、稀だ。
 今朝の早起きには楽しみもあった。人と情報の研究所の北村三郎さんが、今回の出版をホームページで取り上げてくれるからである。その更新が6月1日、今日である。朝食後、書斎へ直行し、執筆マシンを立ち上げた。わくわく、ドキドキ。いきなりトップに私の記事が出ていた。(ここをクリックして、ぜひご覧ください)
 特に中高年のサラリーマンを応援している北村さんのページなので、私のような異色のサラリーマンの存在は、場合によっては、彼らに「勇気を与える」ことができるかもしれない。ただし、私の実生活の一部をこの気まぐれ日記から読み取ると、「無茶するなよ」と言いたくなるだろう。「2足のワラジ、大変ですね」とよく言われる。正直言って、2足のワラジは、私には無理である。一見マルチ人間に見える私だが、瞬間、瞬間を切り取ってよく観察すれば、その瞬間は1足しか履いていない。別の言い方をしよう。「会社の仕事をきちんとこなして、作り出した余裕の時間内に小説家をしている」なんて言ったら閻魔大王に舌を抜かれる。家庭に問題があれば、会社の仕事が手につかなくなるのと同じで、締め切りに追われたら、徹夜はもとより、出張の往復の新幹線の中ででもパソコンを叩いている。こうなると、もう、小説家の合間に会社員をしているとしか言えない状態だ。
 今週は社長に面会するアポをとってあり、拙著をお届けしつつ、その点懺悔しなければならない。
 さて、怒濤のような2年半の執筆期間を終えて、ようやく『怒濤逆巻くも』を出版することができた。迷惑をかけたのは会社ばかりではない。家庭も同様だ。今日、午前中はPTAへ行くワイフを車で送迎し、昼はそのワイフと海に近いレストランでランチした。ワイフは『怒濤逆巻くも』の第2章にようやく入ったところだが、文句は言えない。
 台風がもたらした前線の影響で、海は波が高く、ウィンドサーフィンの色とりどりの帆が波頭を蹴るように行き交っていた。車を止めて、海側の窓を開けると、激しく泡立つ波打ち際の音が車室内に流れ込んできた。無音の映像が音響効果を伴って、一気に臨場感を増した。久しぶりにぜいたくな時間を過ごしているのである。

6月4日(水)「社長に勇気づけられた風さんの巻」
 昨日は体がぐったりしてどうにも気力が湧かなかったので、早目に帰宅した。そして、夕食後ソファで横になったら、案の定、爆睡、zzz……。目が覚めたら、午前1時半近かった。それでも、まだ体がだるくて、何とかシャワーは浴びたものの、シャキッとしなかった。とりあえず1時間ほど読書してから書斎に行き、机に向かったが、鉛を飲み込んだように体が重かった。結局、メールチェックして3時半過ぎにベッドに倒れ込んだ。
 で、今朝はいつもより30分遅く起床し、会社にも20分ぐらい遅く着いた。
 午前中はおとなしくしていて、昼食後、アポイントメントをとってあった社長のところへ向かった。もちろん『怒濤逆巻くも』を直接進呈するためである。
 社長は大変な読書家である。以前お話をうかがった時に、「家に本が増えすぎて、家内に捨てられた」といったエピソードを語られたことがある。本の好きな方とはたいていウマが合う。が、社長の場合は特別である。プロとして小説を書いている社員に対して、社長がどう思っているか、これはなかなか重大である。幸い、社長はとても理解がある。今日も、社長室に入って、『怒濤逆巻くも』を披露すると、いきなり「これで4冊目だね」と笑顔で言われた。うれしかった。自分の作家としての行動に対する社長のご理解には感謝の言葉もありません、と頭を下げると、「会社の仕事以外のことでも一芸に秀でているということは、会社の仕事もできるということです。こういう人材がたくさんいる会社にしたい」とたたみかけられた。変革を旗印に社長になられた方で、こういったご意見は今に始まったことではないが、あらためてうかがうと感激する。
 あと、『算聖伝』の関孝和の話、鎖国にもかかわらず江戸時代には文化が花開いたのは驚きだという話、文章を書くことの大切さなどなど、短い時間ではあったが、親しくお話させていただき、社長室を出たとき、体にべったり貼り付いていた疲労感が消し飛んでいたのを感じた。

6月5日(木)「下手っぴな文章に愕然・・・の風さん」
 半袖が目立ち始めて、日差しの強さに夏が近いのを感じる。エアコンを目一杯かけて、今日もミッシェルで隣県の製作所へ出張した。カラダが疲れていることを、ミッシェルの軽快な走りがしばし忘れさせてくれる。
 ほぼ毎日、『怒濤逆巻くも』を3セット抱えて出勤している。そんなペースで本がさばけている。気が遠くなる。
 てきぱき仕事しなかったせいではないが、今日も帰宅が遅くなった。
 夕食の時、ワイフが『怒濤逆巻くも』の中から名文を見つけた、と言う。「どこどこ?」と問い返し、指摘の部分を確認すると、確かに意識的に書いた描写だった。こういうところがたくさん欲しいとワイフは言う。歴史の勉強と、小説のための時代背景の解釈、そして物語の展開だけで精力を使い果たし、とても心地よい描写や文体まで手が回らなかったのが事実である。
 そう言えば、と思って、新鷹会の大先輩、平岩弓枝先生の「御宿かわせみ」を出して、季節描写のところをワイフに読んで聞かせた。同じ季節描写でも、わずか1、2行で時間の流れと情緒を巧みに表現している。それを解説してみせた。そうしながら、恐る恐る我が作品をざーっとあらためると、・・・「駄目だ。まるで、なっていない」、愕然としてしまった。そうである。我が作品は、愚直な技術者の文章丸出しで、事実が淡々と並べられているだけなのである。いやしくも文学作品である。著者が技術者だからと許されることではない!
 で、今日の日記の書き出しは、実は、ちょっとひねってみた。こういうことは気まぐれ日記で訓練できるのだ。

6月6日(金)「下手な文章の次は時代考証のミス?・・・の風さん」
 梅雨が近いというのに朝から爽やかな青空が広がっていたから、気持ちのいい1日になるだろうと思っていたら、岐阜では日中の最高気温が30℃を超えていた。やはり季節は確実に進行しているのだ。
 『怒濤逆巻くも』今日も3セットを販売し、1セット先渡しした。着実に社内のリピーターに渡っている。
 相変わらず仕事が多忙で、時間と共に疲労がたまっていく。それでも、今日は思い切って早目に退社し、床屋へ直行した。いつもしているように床屋では読書が中心となる。・・・と、部長からケータイに電話が入った。
 帰宅して、今日入手した(『怒濤逆巻くも』付きの鳴海風の)新しい名刺をワイフに見せたら、住所の漢字間違いを指摘された。あらかじめ見本をファックスで送ってもらっていたのに、見本として渡していた前の名刺とほとんど変更がなかったから、よく注意して見ていなかったのだ。来週、再発注せざるを得ない。くそ。
 くそ、と思いつつ、食卓につくと、出版社からファックスが入っていた。「重版の知らせか?!」と期待したが、全く違っていた。読者から時代考証のミスの指摘があったという。読んでみると、解せない。恐らく、私の不注意な文章表現が誤解を生んだのだろう。名刺のミスで力が抜けていたので、すぐにチェックする気力が湧かなかった。
 今日もひねった書き出しをしてみたのに、ふん、つまらない。
 でも、阪神は相変わらず勝ち続けているし、松井も久しぶりに4本の長打固め打ちだったから、機嫌を直そう。

6月8日(日)「身辺整理、未だ片付かず・・・の風さん」
 春先から天候が不順で今年は雨が多いなと思っていたら、いつの間にか梅雨が目の前に迫っていた。うっとうしい季節の幕開けの前というわけでもないだろうが、連日、思い出したように五月晴れである。
 昨日のトレーニングの影響で、今日は筋肉疲労が出ている。昨日の結果は、血圧がきわめて低く、体重の方は、肥満度−0.9%、体脂肪率19.5%とまずまずだった。
 昨日、ようやく童門冬二先生の『小栗上野介』を読み終わった。現代の視点で書かれた政治小説である。童門さんらしい作品だ。なぜこの作品を読んだかというと、一昨年東善寺を取材で訪れた時、童門さんが講演に来られていて、私も本堂の片隅で拝聴し、その後、名刺交換などをしていたからだ。その頃、童門さんも私も小栗上野介に関する小説を書いていた。童門さんは、私に、「完成したら読ませてください」とおっしゃっていたので、失礼ながら、今日、手紙を同封して宅配の準備をした。童門さんの作品は新聞連載で昨年10月上梓されていた。それが『小栗上野介』である。悔しいけれども、執筆速度は童門さんの足元にも及ばない。
 昨日今日と頑張ったので、日本数学協会向けのエッセイがほぼ完成した。エッセイとは言え、数式や図、写真がつくので、本文を少々削ることになるかもしれない。
 来週は新鷹会で上京するので、その前にやることがたくさんあるのだが、予定の半分も片付かない。

6月9日(月)「出版ペースを維持できるか・・・の風さん」
 爽やかな空気に満ちた早朝の歩道を、私は、車輪付きのバッグを引きながら歩いている。バッグの中身は、『怒濤逆巻くも』8セット(16冊)で、向かうは勤務先のビル群である。こうして淡々と書いている割に、内容はサラリーマンとしてひどく不謹慎なものである。何のために、自分の新刊本を運んでいるか、想像すればその理由は了解される。
 今月は、プライベートや仕事で3回上京する予定だ。その3回に色々な用事をこなすつもりだが、とてもすべてを終えることはできない。いきおい来月にも予定を組まなければならなくなる。し、しかし、来月ということは、7月だ。今年も半分過ぎてしまう。たまたま私の執筆が一段落したのは5月初めで、それからひと月が経過したから、私だけの正月気分はもう終わりである。正月が終わったら、もう今年も残り半分なのだから、正直焦る。
 執筆に没頭していてできなかったことを、現在、集中してやっている。会社の仕事がその最たるものだ。それから、友人・知人らとの交友である。しかし、いつまでもそれらにこだわっているとあっという間に年末になってしまう。私の次のターゲットは、久々に商業誌に短編を載せることだ。それが達成できたら、すぐ次の長編にかからねばならない。『怒濤逆巻くも』は2年半もかかったが、その間に『和算忠臣蔵』を出しているので、『円周率を計算した男』からカウントすると、5年間で4冊出版した勘定になる。間隔をあけずに次の作品を出したい。
 夜の帳(とばり)はすっかり下りている。9時をだいぶ回ってから、今朝歩いた歩道を、空になったバッグを引きながら駐車場へ向かった。会社に置いてあった分も含めて、今日は10セットが同僚らに渡った。楽しんでくれるとうれしい。

6月10日(火)「日本人の老化は遅れているか・・・の風さん」
 朝から圧迫感のある空だと思っていたら、天気予報通りに雨がぱらついてきた。ミッシェルで高速で移動しているとめまぐるしく天候が変わる。唯一変わらなかったのは、出張で往復した伊勢湾岸道路で、いつもそうなのだが、真横からの強風で、吹流しが水平になっていた。
 土曜日のトレーニングがハード過ぎたのだろう。どうにも疲労がとれない。おまけに仕事が多忙で、睡眠時間を削らないかぎり自宅での仕事が進まない。帰宅が遅いからである。で、余計疲れがたまる。今夜、ようやく『怒濤逆巻くも』装丁の西のぼるさんへ礼状を書いた。
 日本は着実に高齢化社会へ向かっている。今朝の新聞によれば、既に65歳以上は人口の18.5%ほどになっているし、75歳以上だって1000万人を突破したという。夕食後に目に飛び込んできたテレビで、仲良し母娘の対決とかいう(?)のをやっていて、びっくりした。姉妹と間違いそうな母娘を街頭で2組探してきて、スタジオで母親の外見の若さを競わせるのだ。今夜は、42歳と44歳の母親だったが、どちらも童顔なんてなまやさしいものではなく、明らかに若く見えた。長寿命化、高齢化へ向かうのと同時に、老化も遅れてきているのではないだろうか。つい、そう思ってしまう。今年秋に50歳の誕生日を迎える私も、胸のうちで思わずガッツポーズをとっていた。そうそう。50と言えば、腕立て伏せ50回はできる・・・って、自慢してもいいでしょ?
 でも、やはり疲れていて眠いからもう寝ようっと。

6月11日(水)「鳴海風ボケる・・・の巻」
 今日も灰色の空がこの地方を覆っている。梅雨に入っているようだ。暑さは平気だが、蒸し暑さはうっとうしい。『怒濤逆巻くも』を4セット携えて出社である。
 結局、4セット全部さばけた。明日も3セット運搬するつもりだ。
 帰宅してメールチェックすると、返信がたくさん来ている。夕べ、不特定多数というか「bcc」でたくさんの知人に新刊出版のお知らせメールを送ったからだ。「bcc」で送ると、受信した人は自分以外に誰に送ったか分からない。「bcc」の「b」は「blind」の略だ。
 返信メールの一つを見て、ぎょっとした。送信した文章がついていて、某氏宛になっている。つまり、某氏へ送った文章をそのまま多くの知人らに送信してしまったのだ。なさけない! ボケである。数日前にも小説家仲間に「ぼくの作品読んでたっけ?」とボケメールを送り、「ちゃんと感想言ったでしょ? 忘れちゃったの?」と悲しい逆襲をされてしまった。ボケたくはないが、ボケは着実に鳴海風を襲っている。

6月12日(木)「金魚が金魚の色でなくなった夜の巻」
 梅雨だ。本気で梅雨だ。
 眠い。寝不足だ。マジ眠い。
 今日も3冊販売した。昨日は会社の近くの写真屋さん、今日は会社の近くの理髪店にも販売した。客が店にモノを売るというのは面白いだろう。ちょっと照れるが。
 出版社から電話があり、売れ行きを聞いたら、既に把握していた新宿の紀伊国屋書店に加えて、八重洲ブックセンター、丸善からも追加注文があったという。これで、書評が出始めれば、さらに拍車がかかるのだが。そして、私自身があちこちに登場すればなお効果的だ。銀座に出没するだけではちょっと・・・。
 真夜中に次女が離れのワイフに電話で緊急事態を伝えていた。金魚が酸欠状態だという。ワイフが慌てて戻ってきて見てみると、フィルターが詰まっていて、水の流れが止まっている。おまけに金魚が浮いて、口をぱくぱく。ワイフいわく、「金魚が金魚の色をしていない!」。よく見ると、赤い肌が白っぽくくすんでいる。死ぬかもしれない。思わず私は呟いた。「ぼくも金魚の色でなくなったら気をつけてね」ワイフはそれどころではない。夜店の金魚すくいで手に入れて、せっせとエサを与えて大きくした金魚なのだ。亭主の命など問題ではない。
 外が騒がしい。諦めの悪い空からまた雨が落ちてきたようだ。

6月14日(土)「お疲れ風さんの巻」
 昨日は帰りに雨が上がっていたので、久しぶりに自動洗車してきた。どうせ雨の季節じゃんか、という意見もあろうが、しばらくの間でもきれいになっているのは気持ちの良いものだ。ぼくのミッシェルだし。・・・とカッコいいことを言っているが、実は疲労困憊状態である。一因は寝不足。
 そんな状態だったので、とっても早く帰宅したのに、玄関に入っていきなり子供のカバンが投げ出してあるのを見てキレた。結末はワイフとの感情のズレ。
 夕食後、いったん書斎に入ったものの、どうにも体がだるくて、再び居間へ戻るとソファでダウン。そのまま爆睡。
 起きたのは今朝の6時過ぎである。
 それからシャワーを浴びて、・・・しかし、どうにもシャキッとしない。とりあえず読書して時間を過ごした。
 今日は、秋月達郎さんと会う約束だったので、9時半頃家を出た。海に近い我が家は、これからのシーズン、道路が混む。今日もそうだった。今夜は満月。だから、潮がいい。きっと大潮なのだろう。海岸の堤防沿いを走ったら、わんさと観光客がいる。潮干狩り目当てなのである。
 予定以上の時間がかかって約束の喫茶店に着いた。秋月さんの姿はまだなかった。
 今日の主目的は、秋月さんからうちの近所にある図書館に本を寄贈してもらうことだった。これは全く秋月さんの自由意志で、予算の少ない開館ようやく2年目の図書館にとってはありがたいことである。その本を受け取るために司書の中村さんが緊張した表情で既に到着していた。秋月さんと会うのは初めてである。
 少し遅れたのも無理はない。秋月さんは自著を30冊以上も抱えてやってきた。
 それから3人でモーニングを食べながら2時間も歓談した。秋月さんの話が中心で、いつもながら、その執筆姿勢には圧倒される。架空戦記というレッテルを貼られているが、その実、丹念に史実を調査し(私としては大いに共感するのだが)、設定する時間や場所に非常にこだわる。意味があるのだ。そういった一見小さなことのようなものにもこだわるから深みのある良い作品が書けるのだ。
 近所の図書館にある『三国幻獣演義』全4巻は、『バンゲア三国志』の改作だそうで、ニ段組で改行の位置で文節が崩れないように全編工夫してあるという。これは想像を絶することである。(ページを開いた時に、漢字、ひらがな、カタカナ、記号といったものがバランスよく配置されていることを気にかけている私としては、)視覚的な印象はもとより、読みやすさ、文体の統一など、大いに頷ける行為である。ただ、現実にそれをやり切ってしまうというのは、頷けるどころの騒ぎではないが。
 別の意味で、秋月さんのこだわりの作品の一つ、『レイテは燃えているか』が是非欲しくなり、帰宅してネット購入を試みたら、既に絶版であった(涙)。近所の図書館でいの一番に借りねばならない。
 また、地元の話題も多く、そういう中で、秋月さんの同級生と中村さんとの接点が見つかって、横にいながら楽しく聞いた。
 明日は新鷹会の勉強会のために上京する。疲労は抜けているだろうか。
 PS:金魚は無事である。酸欠から脱出できたようだ。

6月15日(日)「長谷川伸先生の墓参・・・の風さん」
 雨が降りそうな感じなので、今日の上京は、ちゃんと折りたたみ傘を用意した。
 新幹線に乗ってすぐ、尊敬する野村敏雄先生の『秋山好古』(PHP文庫)を開いた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』(主人公は秋山好古)では、第1巻を読んだだけで投げ出していたから、野村先生の好古はどうだろうか、と興味津々だった。ところが、読み始めて驚いた。抜群に面白く、読みやすいのである。片道の2時間で120ページも読んでしまった。遅読の鳴海風としては、新記録である。
 今日の新鷹会は、目黒駅に1時に集合して、長谷川伸先生の墓参から始まった。比較的経験の浅い会員が多いのだが、入会15年になる私ですら、恥ずかしながら長谷川先生の墓参は初めてだった。没後40年にして孫弟子が十数名も集まるというのは、特異なことと言わねばならない。「小説とは人間を描くことである」謦咳(けいがい)に触れたことのない私ですら、長谷川先生の遺徳というか恩恵に与(あずか)っているのを強烈に感じる。
 ぐずついた空の下、幸い雨にたたられることもなく、墓参を済ませることができた。
 それから白金台二本榎の旧長谷川伸邸に移動して、1年ぶりの勉強会である。
 勉強会が終了してから、理事の一人である私は、伊東昌輝先生、野村敏雄先生と今後の新鷹会の運営について、しばし議論した。長谷川伸先生の遺言「後進を育成する」を長く続けるための方策についてである。基本は、私たち孫弟子がしっかりするしかないのだが、それを待っているだけではいけないので、できるところから改善していこうというのである。会員名簿の作成や「大衆文芸」の編集のしくみなどについて、いくつか合意を見た。
 二次会に1時間だけ参加して、再び新幹線で帰ってきた。帰りは疲労が出て、読むペースが落ちた。
 小雨のぱらつく中、最寄の駅までワイフが車で迎えに来てくれたので、折りたたみ傘は一度も使わなかった。携帯していると使わないもんなあ(ぼやき)。

6月16日(月)「虫の多い季節・・・の風さん」
 雨模様の1日だった。
 半年に1度歯科検診を受けている。たいてい歯垢をとってもらって終わりである。決して歯が丈夫なわけではない。大学時代から歯医者が好きで(というのは必ずしも言い得ていないけど)、せっせと通っているため、半年に1度くらい検診を受けたからといって、長期治療など発生するわけがない。
 で、今日も気楽に歯医者へ行った。可愛い看護婦に当たったので、るんるんらんらん椅子に横たわった。「お昼ご飯の後、歯磨きしてませんね」「すみません」きつく言われて、手鏡を持たせられると、いつも通りに歯垢のたまった部分を見せつけられる。歯磨きの指導である。続いて、医者が来て、丹念に調べられた。・・・と、「虫歯になっていますよ」ええ?!97年ごろに治療した左下の親知らずが、横から浸食されていた。その上の親知らずはとっくに抜いてなくなっているので、噛み合わせの対象はない。つまり食事に役立つ歯ではない。「治療してもあまり意味ないですから、抜きますか」「はい」あまりにも呆気なく同意してしまったので、医者の方がうろたえた。
 24日に抜いてもらうことにした。
 帰宅して夕食のテーブルにつくと、どこからともなくハエが飛んできた。最近どうも食卓にハエが多い。玄関灯の上部の壁には羽虫が無数にへばりついている。昨夜は、次女が入浴しようとしたら、浴室に全長7cmぐらいのムカデがいた。梅雨時は虫も増える。
 と、食事が終わってふと流しの方を眺めたら、台所の壁に蛙が登って行った。(あ、ぴょん吉が家に入ってきたのか)私はニコニコとワイフに、「ほら、ぴょん吉がそこに・・・」と言いかけた。が、次の瞬間、私は椅子から立ち上がり、ゴキジェットを取りに向かっていた。
 昨年来常時電源を入れてあった、ゴキ撃退装置の効果がないことが決定的となった。超音波も電磁波も意味なかったのである。
 やっつけたゴキは、中型のチャバネゴキブリだった。
 「あなた、ニコニコしていたから、まさかゴキブリだとは思わなかったわ」
 「壁に飛びついて登って行ったから、ぴょん吉だと思ったんだ」
 虫の多い季節である。

6月18日(水)「どんぶり風さんの巻」
 梅雨だから当然といえば当然だが、今日も雨模様。南から台風も接近しているそうだ。長男は修学旅行で東京ディズニーランドに行っている。雨の中で何してるんだろう。帰宅したら、テレビでディズニーの世界をやっていて、ディズニーシーも出ていた。ディズニーシーはややおとな向きだから、一度くらい行ってもいいか。
 夕食が三色カツ丼だった。鶏肉とピーマンと玉ねぎね。昼食が四川風どんぶりで、昨日の昼食が岐阜県あたりの名物(?)ソースカツ丼だったから、どんぶり風さんになってしまった(???)。
 疲労の原因のひとつに寝不足があったので、夕べは6時間半の睡眠をとった。コンスタントに6時間半程度の睡眠が欲しい気がする。社内での『怒濤逆巻くも』の販売実績は、今日は1冊(ネット注文)。発売以来最低記録となった。明日はどうなることやら。でも、うれしい感想文が届き、その点では収穫はあったと言える。
 今夜はゴキが出なかったので、安心してもう寝よう。お!鏡を見ると、目がくぼんでいる!

6月21日(土)「『怒濤逆巻くも』、『勝海舟』に追いやられるの巻」
 梅雨の中休みで雨が降らずに晴れ間が広がったかと思ったら、気温が情け容赦もなく上がって、全国各地で真夏日である。
 昨日、所用で上京したのだが、屋外はくらくらするほどの暑さだった。たまたま朝乗った名鉄特急が名古屋に着くのが遅れたため、新幹線改札口いやホームまで重いカバンを抱えて走った。その影響が出て、終日ぐったりしていた。そこへ真夏の暑さが襲ってきたので、もう倒れそうだった。
 昨日は、仕事を終えてすぐ帰らず、東京泊とした。
 知人の出版社を30分だけ訪問し、しばらくご無沙汰の知人と夕食を一緒にし、夜は、久々の貴族へ繰り出した。ママさんへ『怒濤逆巻くも』をプレゼントし、翌日からアメリカへ遊びに行く久美ちゃんと話をし(まだまだ十分話せなかったな)、いずみさんのムーディーな唄に胸がしっとりとし、初めての女性に鳴海風を宣伝したりした。
 昨日、今日と書店をいくつか覗いてきた。『怒濤逆巻くも』の陳列状況を確認するためである。
 八重洲ブックセンターでは、早くも新刊コーナーから移動させられていた。それでも、時代小説コーナーで、平積みだった。ここで、別の本を購入したのだが、売り場で気になるセリフを耳にした。例の「気になる日本語」である。コンビニの若い店員がよく使う言葉・・・だったはずが、天下の八重洲ブックセンターでも使われていた。「**円からお預かりします・・・」冗談じゃないぜ。
 名古屋駅前地下二階の三省堂には、もう姿がなかった。JR高島屋11階にある三省堂では、4セットが平積みだった。ところが、以前あった棚の中の『算聖伝』『和算忠臣蔵』がなかった。売れたのだろうか。なら、早く補充してほしい。
 どこでも見られたのは、少し後から出版された津本陽さんの『勝海舟』が売り場を占有していたことだ。今さら『勝海舟』でもないと思うのだが、著名作家の強みだなあ。津本さんは東北大学の先輩でもあるし、我慢するか。

6月23日(月)「戦争は時代劇か・・・の風さん」
 秋月達郎さんの『マルタの碑』を読んだ後、野村敏雄先生の『秋山好古』を読み、続いて、今、秋月さんの『レイテは燃えているか』を近所の図書館から借りてきて読み始めた。
 幕末を舞台にした小説を書いたからと言って、次は明治、大正、昭和初期つまり日清、日露、太平洋戦争を舞台にした小説を書こうとしているわけではない。これは偶然である。
 今日は会社で『怒濤逆巻くも』が一気に7冊も売れてしまい、会社のストックが底をついた。
 帰宅してみると、出版社から大量に仕入れた本も残り少なく、段ボール箱の底が見えている。早速、追加注文しなければならなくなった。私自身のストックがなくなってしまう。
 そんなうれしい話をワイフにしようとしたら、「あなた。私がPTAの関係で書く原稿の締め切り、今日だったの」といきなり訴えられた。ワイフは中学校のPTAで広報委員をやっている。生徒向けに、自分が読んで感動した本を紹介する短い文章を書くことになっていた。相談された私は、「じゃ、ぼくが書いてやろう。紹介する本は、『円周率を計算した男』でいいね」と公私混同・支離滅裂な提案をしていた。そして、案の定、中1の次女から私の提案は糾弾されていた。「じゃ、他の本にしよう。何がいい?」私は言った。
 ワイフの返事を待ちながら、今日の朝刊に目を通していると、12面に知人が出ていた。高校の同級生である。
 古い言い方だが、私は秋田高校出身であることを誇りに思っている。小学校の時から憧れていた高校で、やっとのことで入学してみると、周囲はませた秀才ばかりだった。自分の卑小さに絶望したものである。ある日、定年退職する校長が残した言葉、「汝、何の為に其処に在りや」を後で友人から聞いて、私というぐうたらの目が醒めた。それまでの「死ぬために生きる人生」から「生きるために死ぬ人生」へと私の考え方は方向転換した。
 卒業後、既に30年以上が経過している。
 数年前にネット上に同級生の女性が名古屋へやって来たことを知った。弁護士をしていると言う。さっそくメールを送り、一度返信をもらったが、それ以上の発展はなかった。そこへ、今回の記事を発見して、再びこの同級生に遭遇したのである。記事のタイトルは、「イラクの子に薬を(劣化ウラン弾被害を考える)」で、彼女は、被害を最小限にと抗がん剤購入の募金をする市民団体「セーブ・イラクチルドレン・名古屋」の主催者だという。その彼女に、高校生3人が取材した記事だった。
 「すごいなあ。やっぱり秋田高校の卒業生は優秀だよ」さかんに感心する私に、ワイフが「あなたも秋田高校卒でしょ?」。「そりゃ、そうだけど、程度が違うよ。それに、動機が純粋だし」
 彼女は、小野万里子さんという(新聞に出ているのだから、公表してもいいよね)。
 突然、ワイフが叫んだ。「私、子供たちに勧める本、内館牧子さんの『リトルボーイ・リトルガール』にする!」
 リトルガールは、憧れの女学校に入学したばかりの春日あきえら12歳の女の子のことである。戦争中であり、授業は奉仕作業や演習にすぐ振り返られる。お国のためだ。そういう中、白い布で自分だけのための夏服セーラー服を彼女らは裁縫の授業で縫い始める。憧れの女学校の象徴のような制服だった。しかし、戦争の残酷さは、仕上がったばかりの夏服を、目立つからという理由で黒く染めることを要求する。
 戦争の最中でも、勉強や奉仕作業、演習だけでなく、ちょっぴり大人の世界を垣間見るような恋にも、彼女らは胸をときめかす。春日あきえらの日々は、どこまでも明るくきらきらと輝いていた。
 その日、春日あきえは熱っぽくて体調が悪かったが、奉仕作業を休むわけにはいかないと広島市へ出かけていた。エノラ・ゲイが計算通りに原爆を投下し、少女の命ははかなく消えた。リトルガールの青春を奪った原爆の愛称はリトルボーイと言った。

6月24日(火)「鮫の風さん、通算6本目の抜歯の巻」
 毎日雨が降る。幸い、通勤時間帯は雨が上がっていることが多い。会社の駐車場から、重い紙袋を下げて会社まで歩くのはけっこうつらい。紙袋の中身は『怒濤逆巻くも』3セットだ。一番上にビニールがかぶせてあり、濡れない工夫はしてある。もう60か70セットぐらい運んだ。
 予約していたので、会社の近くの歯医者へ出かけた。左下の親知らずを抜くのである。
 以前にも書いたことがあると思うが、大学時代、行けば必ず親知らずを抜くと評判の歯医者があった。覚悟して、肝試しのつもりで行ってみた(別に虫歯になっていたわけではない)。はたして、「抜きましょう」「はい」ということになった。以来、そこで親知らず3本を抜いたと思う。
 就職して、当地へ来てからも、行動パターンは似ている。女子従業員が嫌っている歯医者が近くにあった。私はあえてそこへ通って治療してもらっている。そこで、親知らず1本と上の前歯の裏側に生えてきた「過剰歯」を抜いてもらった。
 実は、この「過剰歯」だけでなく、親知らずも人より多く5本生えてきたのだ。だから、まだ親知らずが1本残っていたのである。
 親友(?)の天宅しのぶさんが、確か、彼女も親知らずが4本生えてきたとか言ったので、「お互い、鮫の仲間だね」となれなれしく迫ったら、「一緒にしないで!」と肘鉄を食わされた。彼女にしてみれば、親知らずが5本も生えて、さらに「過剰歯」まで生えてきた私など、鮫そのものに違いなかったのだ。わずかな共通点を発見してさらに親しくなろうとした私の陰謀はあえなく崩壊した。常人より多くの歯を持っていたアンドレ・ザ・ジャイアントは、今はこの世にない。
 話がそれた。
 勤務先の近くの歯医者で、今日、5本目の親知らずを抜いた。噛み合わせの相手もなく、レントゲン写真では少し浮いたように見えたので、すんなり抜けるかと思ったら、あにはからんや、医者は手こずった。根っこが少しねじれて食いついていたのだ。ときどき脳天に不気味な響きが伝わる中、「鼻で大きく息を吸っていてください」という医者の指示通りにすると、まるでイビキのような呼吸音が鼻腔を貫いて恥ずかしかった。
 ようやく抜けて、「大変でしたね」と言ったのは私だった。
 帰宅したら慰めてもらおうと思ったワイフは、中学校のPTAに出かけていていなかった。
 やがて、帰ってくるなり、「私が勧める本の原稿、結局、自分で書いて出したわ」。「・・・」

6月26日(木)「ローカルに売れている『怒濤逆巻くも』の巻」
 久しぶりに雨の降らない日が続きそうだったので、昨夜は帰りにガソリンスタンドでミッシェルの自動洗車をしてきた。夜遅く有料道路を突っ走る私のミッシェルのフロント部は、激突した羽虫の死骸でべったりである。自動洗車だけでは容易に落ちず、手でごしごし拭ったが、それでも十分には落ちなかった。念仏を唱える必要があるのかもしれない。
 明日は長谷川伸の会があり、会員は新刊を抽選で入場者にプレゼントする。また、翌日、啓祐堂に寄って、『怒濤逆巻くも』のサイン本を置いてもらうので、帰宅してから大量にサインを書き込み、そのまま箱詰めし、コンビニから宅配でホテルへ発送した。とりあえず手荷物が減るので移動は楽だが、売れ残った『和算忠臣蔵』を引き取ってくるので、帰りは大荷物かもしれない。
 昨夜は、すぐに届いた追加発注の『怒濤逆巻くも』で対応できたのだが、今日も、会社で6セットが売れ、ひょっとするとまた追加注文しなければならないかもしれない。今回、4人の社内営業マンに拡販をしてもらっているのだが、潜在的な読者がゴマンといるようだ。驚きである。

6月27日(金)「今年も司会で、その後は飲んだくれ・・・の風さん」
 毎年6月の第4金曜日は長谷川伸の会である。今年も第1部(授賞式)の司会役を仰せつかった。
 銀座の定宿にチェックインすると、予定通り宅急便が届いていて、部屋まで運び込んであった。すぐに荷をほどき、『怒濤逆巻くも』を2セット取り出してホテルを出た。目指すは四谷の弘済会館である。東京駅で中央線を待っていると、なぜか電車が遅れていて、ホームに人があふれていた。今日は、早めに到着してやることがあるので、焦った私は、急遽東京駅から外へ出て、タクシーを拾った。
 何となく非常に遠くにあるような気がしていたが、わずか1290円で着いた。これなら、ホテル前から乗ってもたいして変わらなかったかもしれない。受付は準備中だったが、既に客がちらほら来ていた。すぐに持参した抽選札を受付係に渡し、持参した『怒濤逆巻くも』を提出した。それからはもうまさに怒濤のような準備となった。長谷川伸賞受賞の神坂次郎さんがみえるや、控え室へ案内し、来賓や花束贈呈者の紹介の仕方や、席の並び、祝電を送ってくださった方や祝辞を述べていただく早乙女貢先生とのご関係などを、矢継ぎ早に確認した。それ以外に、会場準備や花束贈呈者、来賓の案内役などを新鷹会会員に割り振ったり、会員の近刊本の抽選プレゼントの段取りの取り決めなど、目の回る忙しさだった。
 最初から決めていたことなので、司会進行は余計なコメントはさしはさまず、淡々と進めた。そういう中で、最も腐心したのは、神坂次郎さんの来賓として国会議員が5人もみえたことである(他に和歌山県知事夫人)。彼らは、顔と名前を売るのがきわめて重要なので、私は明瞭に名前を読み上げ、席で起立してもらい会釈してもらった。とりあえず粗相はなかったろう。
 第2部の懇親会の中で抽選プレゼントが挙行されたが、開始15分後にすぐ抽選発表をしたにもかかわらず、なかなか本を受け取りにくる人がなく、結局、3次抽選までおこない、50冊以上あった寄贈本をさばききった。拙著『怒濤逆巻くも』は、新潮社開発室の方に当たった。この抽選が終了するまで、ほとんど飲食できなかった。それからも、早乙女貢先生に挨拶したり、文芸評論家の清原康正さんに『怒濤逆巻くも』の書評をお願いしたり、けっこう忙しかった。神坂次郎さんと仕事のご縁が深い、吹田市にある株式会社コミュニカのお二人と少し歓談できたのが、懇親会の成果で、他にもたくさん出版関係の方がみえていたが、とてもお話している時間がなかった。
 2次会で近くの居酒屋へ入り、冷酒をしこたま飲んで酔っ払ってしまった。
 定宿へ帰ったが、もう何もする気力がなく、そのままぶっ倒れてしまった。

6月28日(土)「ひとふでアートも面白いの巻」
 正午のチェックアウトまでのんびり寝ていようかと思ったが、11時過ぎに知人の作家から電話が入り、ランチを一緒にすることになった。窓のカーテンを開くと、小雨がぱらついている。大慌てで準備してチェックアウトした。カート付きのバッグに10冊、手に3冊の本を持って外へ出た。幸い、雨は小降りで傘をさすほどではない。山手線外回りで新宿を目指した。
 食事場所は、以前篠田香子さんが教えてくれた「レガル」である。伝統のありそうなフランス料理店だが、安いランチメニューが用意されている。生ビールで喉を潤して、ランチを食べながら、鳴海風独自の文学論や出版業界のわずかな知識を披瀝してあっという間に時間が過ぎた。
 私は、2時に啓祐堂へ行く用事があったので、まだ時間があるという知人作家に同行を誘った。
 一緒に連れて行ったのはよかったが、啓祐堂の主人が外出中で(奥様が留守番中)、目的は半分達成できなかった。しかし、高橋美樹さんという方の「ひとふでアートの世界 新作展」というのをやっていて、それが見られたのは有意義だった。一筆書きでもけっこう描写できるもので、一筆ゆえの線の運びが出ていて面白い。作者の高橋美樹さんが会場に詰めていて、元気に解説しておられた。見たものから受けた印象を大切にするそうで、しっかりした若い方である。
 帰りの新幹線で爆睡してしまった。どうも最近体力不足である。

6月29日(日)「爽やかな風が吹き渡った1日・・・の風さん」
 快晴なのに爽やかな風が吹き渡っていて、秋を思わせる1日だった。
 近くまで遊びに来た会社の同僚一家が、帰りにうちに寄って行った。私はこの夫婦の媒酌人をした。今では、二人は、4歳の女の子と2歳半の二卵性双生児(いずれも男)の親である。うちの子らにもこんなチビだった頃があった。小さな客人らは、最初は人見知りして親から全く離れなかったが、次第に行動半径が広くなった。それでも、3人3様である。自分の子が大きくなって、初めて他人の子も冷静に観察できる。女の子と一人の男の子が比較的リラックスした頃に、うちのアイボのコロちゃんを動かしてみせたら、すぐに友達になってしまった。不思議なことにアイボのコロがご機嫌で、休むことなく次から次へと芸を披露する。そんな調子で1時間も動き続けたコロは、最後は無口になり、やがて座り込んだままになった。家の中ですっかり飽きてしまった子供らと外へ出たら、走ること走ること、実に元気である。やはり子供は外で思い切り遊ばせねば。
 工事中のサンルームは、まだ色々とやることが残っている。内装関係としては、電灯のスイッチの改造とカーテン類の取り付け。外回りは、外壁の塗装とウッドデッキの再構築である。早いとこ、書斎からワイフのパソコンを出さないと、『怒濤逆巻くも』の後片付けができない。
 たまった疲労が抜けないので、少しストレッチして早めに寝た。いったいいつ執筆を再開するのだろう。眠りに落ちていく私の耳に、昼間の子供らの歓声が聞こえ、次第に遠のいていった。

6月30日(月)「筋肉労働者・・・の風さん」
 昨日から梅雨の中休みか、雨が降り出す気配がない。
 6時45分にミッシェルで家を出た。月末というより「ゼロの日」で交通安全の街頭立哨が多いため、そこらじゅうでノロノロ運転となる。こういう日に限って、とろい運転をするヤツが前を走る。怒りを抑えながらケータイで自宅のパソコンのメールチェックをすると、昨夜から何も届いていない! 夕べは、14通もメールを出しておいたのに・・・。ま、その中に、銀座の女の子はいないから「よし」とするか。
 今日も、『怒濤逆巻くも』を3セット持って出社した。これがけっこう重いのだ。こうしてせっせと運ぶのも今日が最後ではなかろうか。いくら何でも、もう80セット近く社内で売れたぞ。もっともほとんど原価販売だが(しっ、これは出版社にナイショです!)。
 来月18日に社外で講演があるので、そのテキスト作りでかなりの時間を使った。パソコンの調子がイマイチで、何度もかたまる。お陰で、完成できなかった。
 その間に、持参した3セットが完売し、新たに6セットの注文が来てしまった。定価で販売していたら、きっと儲かっていたなあ。世の中には1200万円も6番人気の馬に賭けて、2億円近くも儲けてしまう人がいるかと思えば、(私のように)重量物運搬とサインの記入ならびに名刺のおまけ付きで、2年半かけて執筆した著書を原価で販売している、ほとんど筋肉労働者としか言えない小説家もいる。

03年7月はここ

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